2022年2月17日木曜日

2022年1月17日 水彩の計算


去年の春から月1〜2回ペースで、絵画教室に通っている。最初は鉛筆デッサンで、慣れてきたら水彩に挑戦する日もしばしば。

水彩は高校生の頃に数回しかやったことがなく、この年になって本格的に挑戦している。油彩の方が描いている数は多いので、感覚が掴めなくて、最初の数回は苦しかった。高校の時は「描けない」ことで、周りと比較される(気がする)辛さがあった。今、比較対象はいない。でも、今まで色んな作品を見てきた分、「水彩画とはかくあるべし」みたいな思い込みや理想が明瞭にあると同時に、そこに近づけない辛さを感じる。視覚的耳年増の苦しみ。

水彩は色が透ける
複数の色を重ねて足し算引き算をすることで、描きたい色に近づけるのが水彩の特性

先生が何度か話していた。理論的には分かるし、頭の中でシミュレーションも出来る。でも、それを表現としてなし得るのは難しい。悩む私に、先生はたまにヒントをくれる。しかしそれはあくまでもヒントであり、具体的にこの絵の具とその絵の具を、と一から十まで指示するのではない。最終的には自分で、重ね合わせる色を考えなければいけない。昔を振り返っても、私は直感的に色を載せたり、手慰み的に延々と描き続ける癖があるので、水彩は向いていないのかも…と少し意気消沈していた。

しかし、先日描いた絵は、すんなりと計算が出来た。

自分でも驚きだ。

頭の中にあった理想通りかというと、決してそうではないし。水彩のプロ(って?)から見れば、かなりめちゃくちゃな計算だと思う。もちろんまだまだ反省点もあるから、力作とは呼べず、私なりの佳作と呼んでいる。

私なりの佳作は、一本の絵の具のおかげで誕生したのではないかと思う。その名は「オペラ」。潔いほどの蛍光ピンクは、名前から漂う艶やかさに負けない。しかしその色ゆえに、初心者は使いどころに悩む。かと言って、ピンク色の人工物にそのまま使うのも、水彩の特性を活かさないような…と煮え切らぬ思いのまま、オペラはしばらく眠っていた。


この日描いたサザエは、地肌にほんのりと赤みがさしていた。無骨な見た目には似つかわしくないような優しい色。「生まれたての色」、そんな言葉が頭に浮かんだ。そして妄想が始まった。もしかしたらこれは、外敵から自分を守るための派手な色の一部かもしれない…海洋生物の知識は全くないくせに、そんなことまで考えてしまう。

妄想が走り抜いた後、私はオペラを手に取った。存在を明らかにする、生まれたての赤を表現するために。スッと薄く塗ったオペラは、画面全体を明るくし、サザエを絵の主役にするような強さがある。自分のなかで揺るぎない一色が画面に乗ったことで、後から重ねる色は自然と選び取ることが出来た。

モチーフの美しさに惹かれ、絵を描き始めたはこれまでに何度かあった。でも、絵を描きたいと思わせたものが、一本の絵の具だったという経験は、これが初めて。

佳作


2022年2月16日水曜日

2022年2月16日 白いキャンバス地のスニーカー

 久しぶりにスニーカーを買った。インターネット通販対応の雑貨屋さんで、半額セールをしていたデッキシューズタイプ。サイズ展開が幅広く、足が大きめの自分でも買い物が出来る嬉しさ。最初は自分の分だけ買おうと思ったけれど、パートナーの分も購入した。

映画「花束みたいな恋をした」を思い出したからかもしれない。出逢った頃まだ大学生だった主人公二人は、同じブランドの白いスニーカーを履いていた。靴はこの映画で重要な小道具の一つ。

私といえば、白いスニーカーは高校生、大学生の時以来か。気に入った靴を履き潰す癖があるので、私に見初められた白いスニーカーにとっては受難でしかなかったろう。あの頃は車の運転免許もなく、電車を乗り継ぎ、あちこちへ行った。歩くのが好きだった。汚い靴のままで青山にあるギャラリーのイベントにも行ったかもしれない。イベントには、その当時で伝説的に語られる有名モデルがいた。10cm近くあるピンヒールを履いていた。彼女は年齢を公表していなかったけれど、恐らく60代前後だったのではと思う。絵になりそうな後ろ姿の彼女は、ピンク色のシャンパンを飲んでいた。

靴はその人のファッションセンスが表れるだけではなく、人となりというか、暮らしの仕方、立ち居振る舞いが出る気がしてならない。

ついさっき、宅配便で靴が届いた。
40間近のカップルが、白いスニーカーをペアで…
年甲斐がないかしら、なんて思わないわけではないけれど、雪が完全に溶けたらこの靴でふたり出かけたい。

2022年2月15日火曜日

2022年2月14日 さかのぼること数日前

 バレンタインデーなので、昨晩ガトーショコラを作った。昔からよく作るお菓子で、テンパリングも必要ないし、割と初心者でも作りやすいと思う。製菓用のチョコレートではなくても、シンプルなものを使えば、それなりにオリジナリティが出る上に発見があって楽しい。例えばガーナチョコレートを使うと、生地に粘りが出て、ずしっと重ためのケーキが出来る。明治のブラックを使ったら、甘さのバランスを取るために蜂蜜を入れたりもした。

ガトーショコラに凝り始めたのは、大学4年生の頃かな。色々あって休学してしまい、勉学は手につかなかった。でも何かしなきゃと、卒業論文や卒業製作に勤しむ同級生に、押掛女房のように手作りの弁当やお菓子を差し入れしていた。そんなことを数日前に思い出した。

あの時、お弁当を差し入れた他科の男の子。私は彼のことがほんのり好きだった。やわらかい笑顔。穏やかな物腰。たまに出る辛口。彼は今、何しているのかなと、ふとSNSで彼のページを開く。3年前から更新されていなかった。

3年前、彼は離島に移住したという。離島 移住 をキーワードにすると、彼のある程度タイムリーな活動が見えた。

大学を出て脱サラした彼(Tくん)は、自分が旅で訪れて魅力を感じたその島に移住したという。柔らかい笑顔。くせっ毛。洒落っ気はないけれど、こざっぱりとしたシンプルな服。見た目は変わっていなくてほっとしたような、恐ろしいような。

当時、私も彼も、みんな若かった。既卒率の高い大学だったから、同学年でも年齢はバラバラだった。4年生時点で22〜25歳とか。私は当時23歳で彼は一つ上の24歳だったかな。

あいつは、うちの学科にいる「3大ダメなやつ」のうちの一人だよ

と同じ学科のYくんが言っていたな。Tくんと一緒に歩いた井の頭動物公園よりも、Yくん(いやAくんだったかも?)の一言の方がこびりついている。だって自分が言われたみたいだったもの。悲しい気持ちになったよ。
あの頃、みんな優劣をつけたがった。作品、論文、言動、全てが相対的な評価対象になってしまう。私はそれを卒業後数年引きずった。今もなくはない。思い出すと胸が痛い。

「1 / 3大ダメなやつ」があるイベントで語った言葉が文字起こしされていた。
ああ、この発言は横柄では…老婆の心で彼の端端が心配になる。

Tくんはきっと私のことなんか忘れているだろうに、現在の私は何をしているんだろうな!と我に返る瞬間もありつつ。

見た目は変わらない(少しふっくらしたのはお互い様なので差し引くとして)けれど、T君には一つの変化があった。今、大きな夢を語るTくんの目はキラキラしていた。昔、なんの話題であれ、彼は目が笑っていなかった。一緒に行った動物公園でモルモット抱いた時も、おそろしいほどに目が笑ってなかった。ディスプレイに映る彼の目をじっともう一回見たら、ちょっとばかりへらっと笑ってしまった。

Tくんはその島で工芸に携わる仕事をしているらしい。

偶然にも私も今、工芸の仕事に携わっている。

共通点と言っていいいんだかなんだか。一方的な「ダメなやつ」シンパシーが奮い立たされた。卒業後、コンペで受賞したり、それなりの職を手にしたり、メディアで紹介されたり、そんな「ダメなやつ」以外のやつらの活動を知るよりも、ろくにSNSを更新しないTくんの今を見られたことがとても嬉しい。

パソコンを閉じた後、あの頃リピート率が高かった、神聖かまってちゃんを久しぶりに聴いた。その夜、夢の中にT君が出てきた。目が笑っていないカモシカが突進してきたところで、夢から目覚めた。T君とは夢で何も話せなかった。彼が私を覚えていない、ということを暗示されたような。地味に失恋気分だよ。でも、なぜか私はまたへらっと笑ってしまった。


(どうかTくんがこのブログ記事を読みませんように!!!!)

2022年1月17日 水彩の計算

去年の春から月1〜2回ペースで、絵画教室に通っている。最初は鉛筆デッサンで、慣れてきたら水彩に挑戦する日もしばしば。 水彩は高校生の頃に数回しかやったことがなく、この年になって本格的に挑戦している。油彩の方が描いている数は多いので、感覚が掴めなくて、最初の数回は苦しかった。高校の...