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2021年1月14日木曜日

アパートの向かいの銭湯のコインランドリー

久しぶりにコインランドリー。乾燥機がたくさん並んでいるからか、店内はほのかにあたたかい。普段来ないような場所にすると、ちょっとわくわくする。コインランドリーですら。それに加え、ダンスホールみたいな床!広い店内に2、3台置かれたカート。あらなんかアメリカン?と浮かれちゃう。

私的アメリカンなコインランドリー

ギィギィ鳴るちゃちなベンチに腰掛けたところで、山積みになった宗教新聞を見つけてしまう。少し醒めた。


10年くらい前、東京で住んでたアパートには洗濯機置き場が無かった。でも家の真ん前に銭湯とコインランドリーがあったから洗濯は困らなかった。溜めてしまった日には、アパートの狭い階段から転がり落ちそうになってたけど(2階の部屋に住んでいました)。

ポケットにティッシュか何かが入ったまま、コインランドリーの洗濯機を使ってしまったことがある。管理者である銭湯のおばちゃんにすごく怒られたことがある。目をカッと見開いたおばちゃん、怖かった。

銭湯は一回しか利用したことがない。昔ながらの銭湯だった。木札式の下駄箱。脱衣所には乳製品の瓶が入った冷蔵庫。その晩は地元のご婦人で混み合っていて、何となく落ち着かず、気になる存在「おかまドライヤー」も使わず濡れた髪のまま、アパートの自室に戻った。


10年くらい経った今、何気なく調べたらその銭湯は無期限休業中。思い入れはないけれど、そっかー、となんだかしゅんとする。


向かいのアパートは現在満室。私がいた部屋も、今は誰か住んでいるんだな。

物件情報には写真が載っていた。ロフトのある部屋。このアパートに引っ越す少し前、記念に写真を撮りに来た。出窓から木漏れ日が射す、まだ家具もカーテンもない部屋。その日ついて来てくれた彼氏に、ロフトから手を振った。初めての一人暮らしだったから、はしゃいでいた。

このアパート、洗濯機置き場ないですよ。

向かいにコインランドリーがあるから大丈夫です!

鼻息荒く不動産屋に言い切った自分。
思い出せば、コインランドリー生活は大変だった。洗濯機の台数が少ないから、洗濯が終わるまで悠長にコンビニなんか行けない。かと言って、あのコインランドリーにはベンチを置くような広さは無かった。せっかちな近所のおじさんが、私の服が入った洗濯機を開けちゃってたことがあった。洗濯終了の時間をきっちり確認して、銭湯で過ごすのが良かったのかもしれない。喉元過ぎれば的に忘却の彼方に行ってる出来事はまだまだある気がする。

行ったことはないけれど、同じ町内にはもう一つ古い銭湯があった。表通りにあったその銭湯は、デザイナーズ銭湯?おしゃれにリノベーションされたらしい。今や観光名所。休業せずに令和もサバイブしている。
サバイブの分かれ道ってどこだったのかな。

当時住んでいたアパート(現在満室!)の廊下。
突き当たりの急な階段を降りると、
向かって左手に銭湯がありました。
まだ建物自体はあるようです。
問題のコインランドリーは如何に。

2020年5月3日日曜日

手洗い用のやさしいたわし


ぼ〜んやりとiPhoneをいじっていたら、おや、と思うお知らせ発見。

柴田慶信商店でもふだんお世話になっている「高田耕造商店」さんが、無償で手洗い用のたわしを提供していました。

素材は天然のしゅろ。
柔らかい繊維で、簡単には傷みにくいたわし、とは十分知っていたので、同居人と話し合い注文。
昨日の夜、我が家に到着しました。





「昔はしゅろのたわしで身体洗ったもんだけどね〜」
と店で幾度となく聞く言葉がありました。
ふだんたわしで磨くのは、わっぱとシンクくらいの私ですが、身体洗い用のたわしには何となく憧れがありました。

昔ながらのものづくりをしている会社に身を置いている者として、今、暮らしに何が提案出来るか考えながら仕事していました。
たまに悩みながら。
正直、会社のアカウントでSNSをアップする時はいつも、呑気って思われないかな?炎上しないかな?って不安になります。

高田耕造商店さんのアプローチは、自分達とは違う角度で暮らしにゆるやかに入り込むもの。
つくるものも環境も違うので、手法を即座に真似ることは出来ないけれど。
今自分が抱くのは、敬意にも似た気持ち。
勇気づけられました。





頻繁な手洗いとアルコール消毒液で、手荒れが気になる毎日だけど。家に帰ったら、手をごしごし磨こうと思います。日々のストレスや不安が、指先から少しでも削がれていけばいいと願う。

2019年4月27日土曜日

まなざしから落ちた、ひかり こぼれ落ちる、言葉


11年前、私は体調を崩したため休学して、でも東京から離れたくなかったから、結局学生寮と地元を行ったり来たりしていた。かと言って、復学後を見据えた準備をしていたわけではなく、ただただふらふらしていた。風来坊を気取っていたのかというほど、気分の赴くままに渋谷へ行き、私鉄に乗り換えて多摩川方面へ向かった。
いつも、フィルムカメラを持ち歩いていた。 minolta SR-T101という祖父が使っていた大衆機。 かのユージン・スミスは日本滞在中にライカのカメラが盗難にあい、このminolta SR-T101を代用したという。

    

足が気怠くなった頃に家に帰ると、自分と同世代のひとが撮る写真も、ブログやflickr、カメピというSNSで眺めていた。さらさらと流し見することが多かった。

ある日流し見できないブログに出会った。
 植本 from アルテミスイチコ 
愛おしさなのか、もどかしさなのか、被写体と作家の間の少し熱めの温度感が伝わってくるような。とても不思議な感覚だった。
写真から若者の言葉が聞こえているような気がした。でも背景の雑踏の音は消えている。
そう、言葉。音。
気づいたら私は彼女のブログを毎日チェックするようになっていた。

それが10年ほど前の話。

数年前にこの写真家、植本一子さんが本を上梓したことを知った。その本は私に大きなかたまりをぶつけた。

どきどきした。
彼女の書く言葉。
ああ、この言葉たちがあの写真たちの背景にあるのか。人とあたためあった温度感をそのまま写真に残したんだと。
写真に言葉が重なり合い、自分のなかで納得した、腑に落ちたような気持ちになった。

彼女の写真と言葉が交わりあったという自分の経験は、ひとつの邂逅かもしれない。

今はもうない、白いパソコンのディスプレイをじっと睨んだ10年前の自分。
くすぶっていたあの頃の自分に、「いい出逢いがあったんだよ」と言ってあげたい。
そう思うと、今の自分も報われる。

2019年4月16日火曜日

春の花ばな


2年前のことを思い出す。

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春の花ばなを探しに、どこまで行こうか。

パソコンのキーボードを叩いて、見つけたいくつかの場所をリストアップしていく。エリアを決めれば、ルートも組みやすい。

比立内の水芭蕉群生地。ブログの写真に載っていた看板はもうなかった。でもこの坂道の表情はなんら変わらない。そう、この坂道。これを下って、つきあたりを右に。
どきどきしながら、車を空き地に停めようとしたら、先客の県外ナンバーの車。
昨晩の雨で少し足もとがぬかるんでいる。ハイカットのマウンテンブーツを車に積んでおいて正解。
靴を履き替えて、群生地の方へ。



ようやく先客とすれ違った。
「こんにちはー」
その後、地元のご婦人とすれ違った。夢中でシャッターを切る私を珍しく思ったのか(不審に思ったのか)、声をかけられた。
「いっぱい撮っでらな。花が好きなんだか?」
はい、今日は休みなので、この辺りの花が綺麗なスポットを巡っているんです。
「この後、どこに行ぐの?」
あわててわたしは頭の中の地図をがさがさする。出てこい、地名!
越山。
「越山か、あそこはじいちゃんがよく山菜を取りに行っでたね。『敷かさってる』場所があるって言うの。『敷かさってる』って分かるが?」
なんとなく、とわたしは応える。
「行くまで気をつけてね。ダンプに轢かれねようにな〜。」

越山の福寿草自生地に辿り着くのは、比立内の水芭蕉群生地に行くよりも簡単だったかもしれない。目印の商店に着くと、「こっちこっち!」と来る人を招き入れるような看板が立っている。矢印に促され、少し丘に登る。気づくと、庭先にも福寿草がある。
黄色い宝石。ダイヤモンドの「ブリリアントカット」みたいに、規則的な花弁の開き方が煌きを増しているように見えた。



どきどきした。
入り込んじゃいけない場所にいるような気がした。写真を撮ったら、早くこの場を去らなきゃいけないような…でも花は見たいし、前に進みたい。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、その時の私は本当に興奮していた。間近で見る福寿草が放つ黄色の光はそれだけ神々しく見えたんだから。


呼吸を整えて丘を降りる。
…と、ふもとの人家には、庭先にも福寿草が自生していた。
少し拍子抜けした。

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鮮やかな黄色の余韻にひたりつつ、ぼうっと自宅の庭先に目を遣ったあの日のことをもう少し思い出してみる。
もうひとつの花。

たわわに溢れる馬酔木。

そろそろ今年も、春の花ばなを探しに行こうか。


2019年4月11日木曜日

春の野生

久しぶりに花を買った。



勤め先に飾るものをと考えていたので、春だし桜や桃、梅あたりかなと花屋でうろうろと物色していた。その途中で、気づいた。花の中でも、そういう枝ものは旬の時期こそ花屋に置いていないのかもしれない。
というか、店内見かけない。あるのは温室で育てたであろうバラやカーネーション。むしろここには温室で育てたものしか並んでいないのかな。

温室育ちだとしても、少し前までは枝ぶりの良い啓翁桜が、店の目立つ場所にどぅんっと置かれていたのに。

勤め先の大きな花器に飾るには、枝ものがよかったんだけれど。
そううじうじしていても仕方がないので、店内を再びうろうろし始めた。



悩みながらも直感に頼り、結局その日は3種類の草花を買った。


まず目に留まったのはワックスフラワー。
松のような葉枝と梅のような花。あれ、葉枝はクリスマスのモミの木のようでもある。
和洋折衷なワックスフラワー。つやつやの葉が放つ妙な魅力に惹きつけられてしまった。

花は数年前に櫃取湿原で見た梅花藻を思い出させた。ぴょんぴょん石渡りした、あの川で見た水中花。

「ここを桃源郷と呼ぶ人もいる」
あの時一緒に桃源郷に行った人の声が聞こえたような気がしたし、やわらかく湿った山道の香りが一瞬したような気もする。




この日買ったのはワックスフラワー以外に、ミモザ、ラグラス。ミモザは思いのほか葉が鋭くて細長く、黄色の小花よりも強い印象。どれも野生味があって、温室育ちには見えないところが気に入った。

自宅にもワックスフラワーを。ラグラスと一緒に持ち帰った。


2019年3月4日月曜日

ミラクル・キャット・ストーリー

大館での出会いを想う。
人づきあいがあまりよくない自分はかつて、「もっと外に出て、友だち作りなよ!」と上司に言われた。自分の情けなさを突っついた言葉は、ひりひりと響いた。今も思い出すと、胸がずきんと痛む。

「どうせ私は…」ふてくされ気味の頃、大館で知り合ったある女性Mさんとの1ヶ月間はとてもわくわくする日々だった。だいぶ端折ると、猫の里親探しに奔走した。その女性が猫のもらい手を探しており、「嫁ぎ先が決まって、幸せになってほしい」という思いに打たれ、Facebookで知人に里親希望の方を募った。
結果、一度しか会ったことのない高校の後輩が手を挙げてくれた。ミラクル。彼女は岩手から猫を迎えに来てくれた。

仔ニャンの頃
現在の姿。ふくふく!

不貞ていた自分を動かしたものって何だろうな。
Mさんの気持ちに心動かされたこと。それ以前に、出逢えたことが嬉しかった。まさか地元から後輩が自分を頼って来てくれるということも。

すべて、当時の自分にとってはミラクルだった。


デカい。

先日Mさんのご自宅にお招きいただいた。
再会はこの日が初めてではなく、夏にも私が働く店に来てくれた。少し興奮ぎみに大きくなった猫の写真を見せてくれた。Mさんも旦那さんも、写真のなかでとてもいい笑顔をしていた。私にわざわざ会いに来てくれたこと、くらしに笑顔があること、じんわり涙が出そうになるのを抑える(仕事中なので)。

大館に来るときに志した仕事と、今は違う道を歩んでいる。たまに思い返すこともあるけれど、前みたいに後ろ向きな気持ちはない。そのゆえんはミラクルなキャットストーリー。

  イクシッ…!


2019年2月5日火曜日

最強感

2日間の休みを利用しての帰省。
いつもの高速バス。全席でWi-Fiやコンセントが使用できるようになっていた。

初めて大館に来た時もバスだったなと思う。電車で帰ったのは一回しかない。
悔しくて泣くのをこらえたり、どきどきを抑えられずにやにやしたり、いろんな感情をバスの座席に押し込めた。

バスに乗るときはいつもiPodで音楽を聴いている。
公共の空間で感情を押し込めるに、iPodは有効。


感情を高める時にも。

東京に住んでいた時、繁華街を歩くのが怖かった。キャバクラや風俗のバイト勧誘の勢いに負け、その仕事に興味はないのに数十分話を聞いてしまうことが多々。

自己嫌悪

自己に負けないために、イヤフォンをして音楽を聴いて街を歩くようになった。苦手な満員電車も乗れる。
音に没入すれば勝てるんだ、ってへんな最強感が生まれる。


バスの中で食べるソフトクリーム、
もちろんイヤフォンが耳にささっている。

2018年12月31日月曜日

かたつむりの原風景




大晦に、今年を振り返って。
iTunesのプレイリスト機能は便利。にしても、1年の終わりにプレイリストを作るのはもしかして初めて?これまでは「お題」的なものを設定して、それからイメージされる曲(もしくはそれをイメージする曲)をプレイリストにまとめたことが度々あったのだけど。

こういう作業を始めたのは、新春に聴いた「小山田圭吾の中目黒ラジオ」がきっかけだった気がする。フリッパーズギターもCorneliusも詳しくないけれど、NHKの膨大なアーカイブを活用してこの番組を作るのだと知り、ああ羨ましいとわくわくした。

1. RIVER(Acourstic) / FOLKLORE
2. 私の家は山の向こう(我的家在山的那一辺) / テレサ・テン
3. 20180403 fujisatorec / shou kousaka
4. おとしもの / Popoyans
5. Aqua / 坂本龍一
6. Sunny Day in Saginomiya(Edit) / 蓮沼執太
7. The Electrionic Flute / Henry Tennis
8. TIME / 蓮沼フィル
9. Uta / Pipilotti Rist
10. Hold Them / Mohna
11. 風見鶏 / グッドラックヘイワ
12. 少年 / 大友良英
13. Some Things Last a Long Time / Daniel Johnston
14. 祝いのうた / 森ゆに

2018年は新しくCDを買うよりも、中学生の頃に遡り手持ちの音楽を聴いた。1. と8. 、14. だけ2018年に新しく買ったもの、もらったもの。

2月に岩手銀行赤レンガ館でFOLKLOREのライブがおこなわれた時、ゲストヴォーカルの坂本美雨さんが「Aquascape」という曲を歌った。デビューする娘のために、父親である坂本龍一さんが贈ったという。どこかで聴いたことがあるなと思ったら、5.の曲に歌がついたものじゃやないか。坂本龍一さんの「BTTB」というアルバムの中で自分が一番好きで、中学校の文化祭で流した記憶がある。
それを思い出した瞬間、どわっと涙が出てきた。
懐かしく心に響く5. の「Aqua」もプレイリストに入れてみる。

このFOLKLOREのライブの話をもう少し書こう。
「盛岡」という生まれ故郷は3つの川が交叉する場所、とMCで青木隼人と坂本美雨さんが話していた。自分の原風景は川、と思ってきた自分にとって、それは嬉しいことだった。
流れる川がまちに描線や筆触を残し、生まれた風景。そこにくるまれて私は生まれ育ったと、進学で故郷を離れて以来そう思ってきた自分の想いが、音楽に重なったような気がした。

ところで「大晦(おおつごもり)」って、「かたつむり」を想起させる…。
語感が似ているのと、ブランケットかぶって丸まってる今の自分の姿がそのゆえんなのでしょうか。

話の腰を折ったところで…ああ、気づけば新年まであと14時間半。
かたつむりみたいな私は今、新しい年のために14. 「祝いのうた」を聴いている。






2018年12月19日水曜日

歓び迎え入れること

マリンバソロでのライブなんて初めてだなぁ。


なんて思いながら、隣り合う鹿角市の「道の駅おおゆ」で開催された演奏会に足を運んだライブ。しかし冬の北国はひとの行動に制約を課す。往路が風雪により、悪路と言っても差し支えないほど荒れていた。止むを得ず二部からの入場。

二部で聴いたなかでは、聴覚を失ったマリンバ奏者Evelyn Elizabeth Ann Glennieの手による“Light in Darkness”が印象的だった。暗闇のなか、炎みたいに揺らめく光。溢れ落ちるようなマリンバの音を聴いていると、そんな景色が目に浮かんだ。聴覚と反比例して、過敏になった視覚が光のかたちを見つけたのかなと、異国の女性奏者に思いを馳せてみる。


ライブで一番印象的だったのは、主催の女性Hさんのはにかみ、でもきらきらした表情。先日職場に取材に来た、学校の新聞部に所属する10代の高校生のようだった。Hさんと学生の表情の違いは、ためらいがなく、真っ直ぐ前を、次を見据えていること。


Hさんとは自身が営むカフェで、イベント企画について話したことがあった。

マリンバ奏者の方がここで演奏してくださったんですよ。またやりたいと思っているので、機会があればぜひ来て下さいね。

半年後ようやく、それが叶った。場所はカフェではなく、まちが新たに迎え入れた大きな会場で。


歓待という言葉がある。
演奏会場を提供した男性は、聴衆にこう語った。
「この場所が喜んでいる」

ああ、そうだよな。
演奏のなか、空間がぴりぴりと震えていた。
この場所は音を待っていたのかもしれない。
このまちは場所に新しい可能性を吹き込むHさんを待っていたのかもしれない。

歓び、迎え入れる。

Hさんの姿勢や言動にも、それを感じたことが多いな、とふと思う。

ひととひと、ひとと音、ひとと場所、ひととまち……
交わり合うことの歓びに気づかされた夜だった。
いつか見た雪。秋田県鹿角市と岩手県八幡平市の境目あたりで。

2018年12月18日火曜日

土地の階調

雪が積もって、融けて、を繰り返す今時期。凛とした色の紅い実が、白とコントラストを成す。ついついiPhoneのカメラを向けてしまう。



この街に来るまで、色彩の対比なんてあまり意識しなかった。生まれ故郷はそれなりに都会で、ビルやらネオン、なんやらの色が混在していて、夜も3キロ先のデパートのネオンサインが窓から見える。目の前に広がるのはマルチカラーって感じだった。

今住んでいる家が面するのは、近くに田畑、遠くに山。限られたトーンの色。そこに色の階調を見いだすのが、暮らしの喜びだったりもする。故郷のマルチカラーは日常の景色だったから、今この土地にいて寂しい気持ちにもなることもあるけど。

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そういえば身体に変化があったのか、お酒にめっぽう弱くなり、代わりに?甘いものを好むようになった。ここ最近の自作ヒットはバナナシナモントースト。シナモンの香りが好きだ。なんでか懐かしい気持ちになる。家族みんなで出かけたディズニーランドで食べるお菓子を思い出す。


2018年12月11日火曜日

つづく私の場合の「わたし、ここで」



「わたし、ここで」
冬から春になって、どんどん季節は変わって。
大館にきて4度目の冬になった。

思い立って「watashi_kokode」というユーザー名で、私の場合の「わたし、ここで」をInstagramに綴ることにした。
あのムービーの続き、というほどストーリー性はないけれど、映画じゃなくても毎日は続くので、その意味で「つづく」ことを綴ろうと思う。

最新の投稿では、大館に来てから出来た数少ない友人に贈った出産祝いのことを書いた。
大館の3年目は怒涛の日々。
友人には子どもが生まれ、自分の生活もある面では区切りを迎え、慕っていたひとが亡くなり、実家で大切な家族が病に倒れ…など、生きるとか死ぬとか、この地で経験するのが初めてだった喜びや痛みが心にぶつかって来た。

その中で、友人に子どもが誕生したのは本当に嬉しいことで。
子どもも、あたらしい表情のお父さんもお母さんも、愛おしく感じられる。

これからつづく日々はどんな色なんだろう。
色々な変化が続いて、正直わくわくするような心持ちではないけれども、すべてのどんな展開を受けとめようという覚悟が育ちつつあることを実感している。

2018年8月6日月曜日

集めて、編んで。

ライティング、エディティングについての覚書
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「言い得て妙」ではないけれど、ヒアリング中に至言とも呼ぶべき言葉を拾う瞬間というのがあって。その時の私は、文脈をつなぐ鍵をキャッチしたな〜という気持ち。
録音データを持ち帰って、文字起こしする瞬間もまた、至福のひと時です。

軸、要をつかんで、集めて、言葉を編む作業で、方向性を見出す歓び。

言葉に、花

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ライティング、エディティングの経験はまだまだ浅いですが、聞き手であるからこそ感じ得るこの歓びを持ち続けたいという思いでいます。

2018年7月14日土曜日

都市が通過する


少し前のことを思い出して、書き連ねてみる。
4月末から5月頭にかけ、東京に行ったこと。

1週間の東京暮らしは長い(わたしにとっては)。でも、限られた時間。
その中のある日、ほんの数時間に体験したことを書いてみよう。

行きたいカフェや、気になっているブティックなど、色々、いろいろあった。秋田にいる時は、「次東京に行ったら、寄りたい!」と思える場所があった。

でも、「ほんの数時間」前の私は、あちこち回る気分でもなく、展覧会を1つ見られれば満足だな、と。頭に描いた東京めぐりはどこへ行ったのか。
「そうだ」と、東京在住の友人が勧めてくれた展覧会へ。



行ったのはこちら。
企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」
写真、都市、をキーワードに設定した展示。
かつてゼミに入りたいと自分自身が望んでいた研究者が、展示監修を務めていたこと、今でも写真という表現技法が好きなこと。
数年ぶりに再会した友人が、この展示を勧めてくれたのも、私の興味関心、好みを覚えていたからのようだ。

一番ぐっと来たのは、最初に遭遇するTAKCOMの映像インスタレーション。展覧会全体に展示機材を貸出協力した、Canonのプロジェクタとスクリーンで、複数都市を越境するウィリアム・クラインの写真を繋ぎ合わせている。スナップフォト的なもので、アレ・ボケ・ブレが特徴的な被写体が映り込むスクリーン。多方向にスクリーンが配置されているため、なんというか、街のなかでぐるりと周りを見渡す感覚になる。遊歩?いや、そんなに軽やかなものじゃない、田舎者が騒がしい都会のまちに来て、場所の音やにおい、光に対して、注意力が散漫になるような。

東京に久しぶりに来たこともあり、自分が見たことのない時代、行ったことのない場所、スピード感を持って、通過していく。いち個人としての自分がその光景を見ているのではなく、自分は街の一部でしかなく、感情や感覚を発揮する余地もなく、全ては通り過ぎていく。眼前で流れる写真に圧倒され、そして、ふとした瞬間に虚無感を覚える。次の展示室へ続く暗幕をくぐる瞬間、なんか変な気持ちだった。
次の展示室は日本の若手の作品。総じてセンシティブな作品が並んでいた。自分が今生きる場所、街を見つめてやろうぜ!くらいの気概や切迫感がじわじわと溢れていた。エネルギッシュ。なんとなく、卒展の雰囲気を思い起こさせた。


別の展示室でやっていた
「Khadi インドの明日をつむぐ- Homage to Martand Singh -」展
も鑑賞。こんなコンセプトの展示を見ることも、今はなかなかないので。
実はこっちの展覧会の方が、先のものよりしっくり来た。ひとの肌に触れる、近い存在での「布」。インドの人道的教育の歴史についての映像や、テキストをじっと眺めた。少し透けるアイボリーの布地に走る繊維に、重みと厚みを感じる。
展示物に触れられるのも、嬉しかった。

ホワイトキューブ、ショーケース…時に煩わしい装置は無く、曇り空のあいだから僅かに光線が射す。赤と黄色を帯びた陽光が、何よりの照明だ。少し涙が出そう。



東京暮らし、展覧会に行ったのとは別の日に、4kmほど地上を歩いてみた。地下鉄がなんとなく苦手で、まだ気候も外歩きには不向きではなかったから。
夜になると、どこからかジャスミンの香りを風が運ぶ。ああ、と爽快感を覚えた。

そこで、初めて自分が都市に触れられた気がした。





2018年1月27日土曜日

初期衝動とzineと自分

一昨年からzineを作っています。不定期。不定形。ゆる〜っと。
私が載せる内容は主に詩と写真。

今日はこの2年で制作した、 2冊を紹介してみます。
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『言葉に花、羊に羽』

A5, 12頁, 2016年9月制作


音を作っている 高坂翔 さんと作りました。キャッチボールのように、音と言葉をやり取りし、本という形に落とし込んだものです。
本を作ったのは、2人のキャッチボールを残したかったからだと思います。この本は「第1回文学フリマ」にて販売しました。具体的に目標を定めることで、初期衝動を維持したいという思いが強かったんだな…と回顧しています。
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『光さす、手元に』
A6, 8頁, 2017年4月制作
こちらは販売はしていません。自分のためだけに、作りました。

アーティスト・イン・レジデンスで大館市に来ていた女性 Thelma Vilas Boas さんの制作補助をした経験を、本にまとめました。
制作補助は辛い記憶ばかりです。無論それはThemaのせいではなく、自分のコミュニケーション能力の低さが、制作を妨げているような恐怖感を常に抱いていました。しばらくは己の不甲斐なさを呪ったりしていましたが、彼女と見た風景、拙いながらも交わした言葉がじわじわと自分の中で大きい存在になっているのを感じ始めました。
「そうだ、本にしよう」
初期衝動は仕事からの帰り道(良くないけど、運転中)に芽生えました。
作った本、ほんとうはThelmaに送りたいのですが、未だに送れていません。本に英訳をつけなきゃー、とか送るにあたっての準備がなかなか進まないのと、自分に自信がないゆえためらってしまうこと、というのが大きな理由だと思います。
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先日、zineを作ろうというWSにて、恐れ多くも講師を務めた際に
「私にとって、zineは初期衝動を形にしたものです。」 という話をしました。
正直、私は絵も写真も文学も、「表現者」というには程遠い人だと思っています。でも、形にしたい!ものを作りたい!という欲望は常に渦巻いていて、えいやっ!と勢いに任せて行動に移すことが多いです。見切り発進ではありますが、今振り返ると勢いで出来たものは驚くほど、「自分じゃない」作り手が見えたりします。それでもやっぱり、「自分」という未熟さのかたまりが露呈すると、過去の私を引っ叩きたくなるくらい後悔の念に襲われますが。

かつてのことを思い出しました。
「どの自分が、ほんとうの自分かわかりません。」
と診察室で泣き言をぶつけた時、医師はこう言いました。
「どの自分も、ほんとうの自分なんですよ」
医師は困惑した顔のようにも見えたし、諦めたような顔にも見えました。

zineを作っている時は、気持ちが湧き上がって、イメージが溢れているのを感じます。
気持ちが昂ぶる中、あまたの自分が紙の上に交叉していくように思える時。
そういう時を「我に返った」という言葉で表現するのは不適切なのでしょうか。

2017年6月17日土曜日

「わたし、ここで」のこと





制作に関わった秋田県大館市移住PRムービーが、このほど公開されました。



私は取材、ライティングを担当しました。

最初のスクリーンショットはコンセプト…と言っていいのか分かりませんが。これから出来上がるであろう映像を頭の中で描いたとき(撮影担当ではありませんが)に、したためたものです。

親や友人、近しい人に、手紙を送るような気持ちで書きました。
ささいな発見かもしれないけれど、自分にとっては新鮮さがあって、嬉しくて。誰かに伝えたくなる、というか、書くことで自分の中に残しておきたくなる。
そういう気持ちになる瞬間が、この映像にはいっぱい詰まっています。

気づいたら、最近は初夏のような陽気。田園に囲まれる我が家のBGMは、カエルの大合唱です。カエルって、4月下旬からもう鳴き始めているんですね。ここに住んで3年目にして、ようやく気づいたこと。


2016年5月12日木曜日

北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂

大館市内には岩手にいる時からずっと行きたかった場所がいくつかあります。そのひとつが、大館市曲田にある北鹿ハリストス正教会・曲田福音会堂です。昨年の秋、念願叶って同教会を訪れることができました。今回はそのことについて書きたいと思います。



11月28日、前日までの雨は上がり、空はにぶい灰色。国道103号線沿いの住宅街がひしめく細い道に入ると、数分もしない内に目的地に着きました。庭には柿の木(*1)が立ち、橙色の実が地面に落ち、晩秋の漂いがあります。ようやく訪れることの出来た聖堂、その面積は15坪だそうです。事前に入手したパンフレットを眺めながら、釜谷幹雄長輔祭さまとの約束の時間まで、どきどきしながら扉が開くのを待ちました。

日本最古の木造ビザンチン様式教会として知られる曲田福音会堂。釜谷さんが開けてくれた白い扉をくぐり、啓蒙所から聖所内に入ると、思わず息を呑んでしまいました。
シャンデリアの温かな灯に照らされ、浮かび上がるアーチ。



教会内に施された意匠は、鮮やかな色彩と輝きをもって自分の目に飛び込んで来ます。それぞれの彩色や文様など、細部への執心はやまないのですが、15坪という面積に凝縮された教義や、世界観に充ちる空気−−自分が大きな存在に包まれたような気がしました。
かつて文盲の人びとのために描かれたというイコンを見て、昔見た映画を思い出しました。それはアンドレイ・タルコフスキー監督による「アンドレイ・ルブリョフ」(1971年、ソ連)です。映画は15世紀初頭に実在したイコン画家、アンドレイ・ルブリョフを主人公にしています。映画はモノクローム映像で進行するのですが、劇中に出てくるイコンや聖堂は目に焼き付き、観賞後しばらくはその色彩やかたちについて想像をめぐらせていました。思い切ってそのことを釜谷さんに話したところ「あれは、とてもいい映画ですよね」と応えてくださいました。

終始質問ばかりの私。対応してくださった釜谷さんは、穏やかな笑顔でひとつひとつの質問に丁寧に答えてくださいました。釜谷さんから思わぬ一言が出ました。
「カメラは持っていますか?」
思いがけず、写真撮影の機会をいただきました。この教会がもつあたたかさや荘厳さ、包容力を写真に写し込めたら…と、無心で携帯電話のシャッターボタンを押し続けました。

1月のある日、思いがけず釜谷さんの訃報に触れ、私の心の中で何かが欠けてしまったような気がしました。ほんの一時間。

それから一ヶ月後。ご縁があり、釜谷さんの奥さまとお話出来る機会が出来ました。奥さまと会うのはもちろんこれが初めて。ゼロダテの『もうひとつの秋田』や取材の際の撮影写真をお渡しし、生前の釜谷さんの写真を2人で眺めました。
釜谷さんは学生時代から写真に親しんでいたそうで、のちに写真撮影とビデオ撮影を手がけるワールドプラン社を設立されました。
また、海外へ渡航した際には、現地の教会などで撮影をされたそうで、その数、データ量は膨大なものだそうです。釜谷さんが亡くなった後も奥様方はその意志を引き継ぎ、写真、ビデオを整理しているとの話を聞きました。


ふと、釜谷さんにかけられた言葉がじんわりと蘇ってきます。
「カメラは持っていますか?」
あの時私が無心で撮影した写真を見返すと、未熟さがにじみ出ていて少し恥ずかしさのようなものを覚えます。けれども、後ろで静かに見守って下さっていた釜谷さんの眼差しや佇まいが思い出される、不思議な感覚があるのも事実です。

あの時、自分を包んだ大きな存在は、教会とその世界観、そしてあたたかな眼差しをこちらに向ける釜谷さんだったのかもしれません。

釜谷幹雄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


*1 柿の木
大正15年に曲田部落で大火があった際、木造の聖堂が火の粉や灰などを被りながらも燃えずに残った。そのため、曲田部落ではこの柿の木を「火の神」と呼ぶ人もいる。


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写真は撮影の許可をいただいて撮ったものです。
また、当記事を掲載するにあたり、釜谷貴美子さま、(株)ワールドプラン社さまのご協力、ご厚情をいただきました。ここに御礼申し上げます。

2022年1月17日 水彩の計算

去年の春から月1〜2回ペースで、絵画教室に通っている。最初は鉛筆デッサンで、慣れてきたら水彩に挑戦する日もしばしば。 水彩は高校生の頃に数回しかやったことがなく、この年になって本格的に挑戦している。油彩の方が描いている数は多いので、感覚が掴めなくて、最初の数回は苦しかった。高校の...