北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
大館市内には岩手にいる時からずっと行きたかった場所がいくつかあります。そのひとつが、大館市曲田にある北鹿ハリストス正教会・曲田福音会堂です。昨年の秋、念願叶って同教会を訪れることができました。今回はそのことについて書きたいと思います。
11月28日、前日までの雨は上がり、空はにぶい灰色。国道103号線沿いの住宅街がひしめく細い道に入ると、数分もしない内に目的地に着きました。庭には柿の木(*1)が立ち、橙色の実が地面に落ち、晩秋の漂いがあります。ようやく訪れることの出来た聖堂、その面積は15坪だそうです。事前に入手したパンフレットを眺めながら、釜谷幹雄長輔祭さまとの約束の時間まで、どきどきしながら扉が開くのを待ちました。
日本最古の木造ビザンチン様式教会として知られる曲田福音会堂。釜谷さんが開けてくれた白い扉をくぐり、啓蒙所から聖所内に入ると、思わず息を呑んでしまいました。
シャンデリアの温かな灯に照らされ、浮かび上がるアーチ。
教会内に施された意匠は、鮮やかな色彩と輝きをもって自分の目に飛び込んで来ます。それぞれの彩色や文様など、細部への執心はやまないのですが、15坪という面積に凝縮された教義や、世界観に充ちる空気−−自分が大きな存在に包まれたような気がしました。
かつて文盲の人びとのために描かれたというイコンを見て、昔見た映画を思い出しました。それはアンドレイ・タルコフスキー監督による「アンドレイ・ルブリョフ」(1971年、ソ連)です。映画は15世紀初頭に実在したイコン画家、アンドレイ・ルブリョフを主人公にしています。映画はモノクローム映像で進行するのですが、劇中に出てくるイコンや聖堂は目に焼き付き、観賞後しばらくはその色彩やかたちについて想像をめぐらせていました。思い切ってそのことを釜谷さんに話したところ「あれは、とてもいい映画ですよね」と応えてくださいました。
終始質問ばかりの私。対応してくださった釜谷さんは、穏やかな笑顔でひとつひとつの質問に丁寧に答えてくださいました。釜谷さんから思わぬ一言が出ました。
「カメラは持っていますか?」
思いがけず、写真撮影の機会をいただきました。この教会がもつあたたかさや荘厳さ、包容力を写真に写し込めたら…と、無心で携帯電話のシャッターボタンを押し続けました。
1月のある日、思いがけず釜谷さんの訃報に触れ、私の心の中で何かが欠けてしまったような気がしました。ほんの一時間。
それから一ヶ月後。ご縁があり、釜谷さんの奥さまとお話出来る機会が出来ました。奥さまと会うのはもちろんこれが初めて。ゼロダテの『もうひとつの秋田』や取材の際の撮影写真をお渡しし、生前の釜谷さんの写真を2人で眺めました。
釜谷さんは学生時代から写真に親しんでいたそうで、のちに写真撮影とビデオ撮影を手がけるワールドプラン社を設立されました。
また、海外へ渡航した際には、現地の教会などで撮影をされたそうで、その数、データ量は膨大なものだそうです。釜谷さんが亡くなった後も奥様方はその意志を引き継ぎ、写真、ビデオを整理しているとの話を聞きました。
ふと、釜谷さんにかけられた言葉がじんわりと蘇ってきます。
「カメラは持っていますか?」
あの時私が無心で撮影した写真を見返すと、未熟さがにじみ出ていて少し恥ずかしさのようなものを覚えます。けれども、後ろで静かに見守って下さっていた釜谷さんの眼差しや佇まいが思い出される、不思議な感覚があるのも事実です。
あの時、自分を包んだ大きな存在は、教会とその世界観、そしてあたたかな眼差しをこちらに向ける釜谷さんだったのかもしれません。
釜谷幹雄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
*1 柿の木
大正15年に曲田部落で大火があった際、木造の聖堂が火の粉や灰などを被りながらも燃えずに残った。そのため、曲田部落ではこの柿の木を「火の神」と呼ぶ人もいる。
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写真は撮影の許可をいただいて撮ったものです。
また、当記事を掲載するにあたり、釜谷貴美子さま、(株)ワールドプラン社さまのご協力、ご厚情をいただきました。ここに御礼申し上げます。
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