2021年1月14日木曜日

アパートの向かいの銭湯のコインランドリー

久しぶりにコインランドリー。乾燥機がたくさん並んでいるからか、店内はほのかにあたたかい。普段来ないような場所にすると、ちょっとわくわくする。コインランドリーですら。それに加え、ダンスホールみたいな床!広い店内に2、3台置かれたカート。あらなんかアメリカン?と浮かれちゃう。

私的アメリカンなコインランドリー

ギィギィ鳴るちゃちなベンチに腰掛けたところで、山積みになった宗教新聞を見つけてしまう。少し醒めた。


10年くらい前、東京で住んでたアパートには洗濯機置き場が無かった。でも家の真ん前に銭湯とコインランドリーがあったから洗濯は困らなかった。溜めてしまった日には、アパートの狭い階段から転がり落ちそうになってたけど(2階の部屋に住んでいました)。

ポケットにティッシュか何かが入ったまま、コインランドリーの洗濯機を使ってしまったことがある。管理者である銭湯のおばちゃんにすごく怒られたことがある。目をカッと見開いたおばちゃん、怖かった。

銭湯は一回しか利用したことがない。昔ながらの銭湯だった。木札式の下駄箱。脱衣所には乳製品の瓶が入った冷蔵庫。その晩は地元のご婦人で混み合っていて、何となく落ち着かず、気になる存在「おかまドライヤー」も使わず濡れた髪のまま、アパートの自室に戻った。


10年くらい経った今、何気なく調べたらその銭湯は無期限休業中。思い入れはないけれど、そっかー、となんだかしゅんとする。


向かいのアパートは現在満室。私がいた部屋も、今は誰か住んでいるんだな。

物件情報には写真が載っていた。ロフトのある部屋。このアパートに引っ越す少し前、記念に写真を撮りに来た。出窓から木漏れ日が射す、まだ家具もカーテンもない部屋。その日ついて来てくれた彼氏に、ロフトから手を振った。初めての一人暮らしだったから、はしゃいでいた。

このアパート、洗濯機置き場ないですよ。

向かいにコインランドリーがあるから大丈夫です!

鼻息荒く不動産屋に言い切った自分。
思い出せば、コインランドリー生活は大変だった。洗濯機の台数が少ないから、洗濯が終わるまで悠長にコンビニなんか行けない。かと言って、あのコインランドリーにはベンチを置くような広さは無かった。せっかちな近所のおじさんが、私の服が入った洗濯機を開けちゃってたことがあった。洗濯終了の時間をきっちり確認して、銭湯で過ごすのが良かったのかもしれない。喉元過ぎれば的に忘却の彼方に行ってる出来事はまだまだある気がする。

行ったことはないけれど、同じ町内にはもう一つ古い銭湯があった。表通りにあったその銭湯は、デザイナーズ銭湯?おしゃれにリノベーションされたらしい。今や観光名所。休業せずに令和もサバイブしている。
サバイブの分かれ道ってどこだったのかな。

当時住んでいたアパート(現在満室!)の廊下。
突き当たりの急な階段を降りると、
向かって左手に銭湯がありました。
まだ建物自体はあるようです。
問題のコインランドリーは如何に。

2020年5月3日日曜日

手洗い用のやさしいたわし


ぼ〜んやりとiPhoneをいじっていたら、おや、と思うお知らせ発見。

柴田慶信商店でもふだんお世話になっている「高田耕造商店」さんが、無償で手洗い用のたわしを提供していました。

素材は天然のしゅろ。
柔らかい繊維で、簡単には傷みにくいたわし、とは十分知っていたので、同居人と話し合い注文。
昨日の夜、我が家に到着しました。





「昔はしゅろのたわしで身体洗ったもんだけどね〜」
と店で幾度となく聞く言葉がありました。
ふだんたわしで磨くのは、わっぱとシンクくらいの私ですが、身体洗い用のたわしには何となく憧れがありました。

昔ながらのものづくりをしている会社に身を置いている者として、今、暮らしに何が提案出来るか考えながら仕事していました。
たまに悩みながら。
正直、会社のアカウントでSNSをアップする時はいつも、呑気って思われないかな?炎上しないかな?って不安になります。

高田耕造商店さんのアプローチは、自分達とは違う角度で暮らしにゆるやかに入り込むもの。
つくるものも環境も違うので、手法を即座に真似ることは出来ないけれど。
今自分が抱くのは、敬意にも似た気持ち。
勇気づけられました。





頻繁な手洗いとアルコール消毒液で、手荒れが気になる毎日だけど。家に帰ったら、手をごしごし磨こうと思います。日々のストレスや不安が、指先から少しでも削がれていけばいいと願う。

2019年12月30日月曜日

今年も今年とて

恒例(にしたい)年末の「今年のプレイリスト」。
2019年も作りました。



1.うれしい予感/大滝詠一
2.Night And Day/Sondre Lerche
3.口ずさめる様に/神聖かまってちゃん
4.Poor Boy Long Ways From Home/John Fahey
5.You Can Fly! You Can Fly! You Can Fly!/ホフディラン
6.NUM-AMI-DABUTZ/NUMBER GIRL
7.エノラ・ゲイ/キセル
8.関白宣言/二階堂和美
9.New Song/王舟
10.Heaven's Gate Lying Aside Our Home Contry/Gustave Coquiot
11.Storytelling/World's End Girlfriend

Spotifyを使っていないので、相変わらずappleのミュージック機能で。

2019年8月21日水曜日

「     」

記憶が抜け落ちて、出来た空白。
私たちの知らない人、場所、時間。
知り得ないもの、触れ得ないものの表情。


なぜか私たちは空白に充たされた古写真を愛おしく感じた。
そして、一冊の本を作った。


今思うと、この本にタイトルはつけようがなかったのかもしれない。

あれやこれやと、私は自分の印象や感覚を言葉に置き換えようものの、知らないひとたちは笑顔でそれを拒む。

一緒に本を作った彼がつけたタイトル“「     」”が最適なものであったと、今あらためて実感している。


彼ともまた、空白の時間があった。
その間に彼は結婚していた。私は当時の恋人と別れていた。

今、彼に会っても、空白はきっと埋められない。


私たちが会ったとして、交わし合う会話がある。

ともに過ごした時間を思い出そうとする。
でも、各々がもつ視点が、過去を否定するように記憶を書き換えるかもしれない。


俎上に乗らずに置いていかれた過去、記憶は、空白になっていく。
自分が感じていたものでさえも。



あの本は、要らぬ想像を拒む過去と、過去を書き換えようと試みる無作法な私たちのための一冊。

こんなふざけた筆名を2人で即決するなど…

2019年6月12日水曜日

喜からの怒哀楽

なん年ぶりかにライブハウスに。
アーティスト名はここには書かないけれど、その名前はなんか語感がいいんです。

普段は流し聞きしたりして、歌詞を細かく意識してなかったけど、生歌は詞が耳に響いてくる。
身体を揺らしていると、ああ気持ちいいなぁ。
音楽聴くの好きだなぁって思う。

ライブの最後を飾る、彼らが歌う「LOUE」は心地よさにひたる自分を別の場所に放り込んだ気がした。
放心。


結婚して
子供を産んで
すてきな家庭を持つ

そんな幸せ


ってなんだろう?

早くした方がいいそれは女にとっての幸せだ結婚したいんでしょう?

幾度となく言われた言葉を思い出した。

歌う彼らのバックグラウンドを思うと、自分の過去を振り返ることは、安易な共感だよって人は言うのかもしれない。

でもね、そんな共感を許して欲しい日もあるんだよ。

感傷とともに音楽に身を委ねた日の思い出。
半年以上経ったけど、ここに書き残しておこう。





2019年5月14日火曜日

暮らしの仕方 2

「そろそろ終い方を考えなきゃね」

「終う」
という言葉が母の口から出て、驚きと悲しさがあった。

この人も終活考えているんだな(いや全く考えてないとは思ってなかったけど、私の前で言葉にするのは初めてだったから)
という驚き。

そんなこと言わないでほしい
という悲しさ。

母が見つめる終わりを想像したくない、なんて幼いことは言えずに、自分なりに終い方を手伝おうと思い始めた。




服やら本やら衝動買いしてしまう私を窘めた、いつかの母の言葉。
「お母さんの悪いところが似てしまったのね」

本当にそうかも…。
と思うくらい、片付け中はたくさんのものが食器棚や納戸からざくざく出てきた。

でも彼女の心をときめかせたものばかり。

好みが似ているのか、ああこれなら私も買うよなぁ〜なんて思うものがたくさん。

勧められたものは殆ど譲り受けた。




しばらく食器も調理器具も買わなくていいだろう!
というくらいに。

食器も調理器具も嗜好品。
帰省から戻って荷解きしながら、頭にそんな至言(ぽい言葉)が浮かんだ。

こだわらなきゃこだわらずで、ものが何パターンかあればやり繰りして調理から盛り付けまで出来る。

「でもそれを言ったら元も子もないじゃない、ねぇ。」
言いわけをするような、母の声が聞こえた気がした。

はい、全く同意です。

2019年4月27日土曜日

まなざしから落ちた、ひかり こぼれ落ちる、言葉


11年前、私は体調を崩したため休学して、でも東京から離れたくなかったから、結局学生寮と地元を行ったり来たりしていた。かと言って、復学後を見据えた準備をしていたわけではなく、ただただふらふらしていた。風来坊を気取っていたのかというほど、気分の赴くままに渋谷へ行き、私鉄に乗り換えて多摩川方面へ向かった。
いつも、フィルムカメラを持ち歩いていた。 minolta SR-T101という祖父が使っていた大衆機。 かのユージン・スミスは日本滞在中にライカのカメラが盗難にあい、このminolta SR-T101を代用したという。

    

足が気怠くなった頃に家に帰ると、自分と同世代のひとが撮る写真も、ブログやflickr、カメピというSNSで眺めていた。さらさらと流し見することが多かった。

ある日流し見できないブログに出会った。
 植本 from アルテミスイチコ 
愛おしさなのか、もどかしさなのか、被写体と作家の間の少し熱めの温度感が伝わってくるような。とても不思議な感覚だった。
写真から若者の言葉が聞こえているような気がした。でも背景の雑踏の音は消えている。
そう、言葉。音。
気づいたら私は彼女のブログを毎日チェックするようになっていた。

それが10年ほど前の話。

数年前にこの写真家、植本一子さんが本を上梓したことを知った。その本は私に大きなかたまりをぶつけた。

どきどきした。
彼女の書く言葉。
ああ、この言葉たちがあの写真たちの背景にあるのか。人とあたためあった温度感をそのまま写真に残したんだと。
写真に言葉が重なり合い、自分のなかで納得した、腑に落ちたような気持ちになった。

彼女の写真と言葉が交わりあったという自分の経験は、ひとつの邂逅かもしれない。

今はもうない、白いパソコンのディスプレイをじっと睨んだ10年前の自分。
くすぶっていたあの頃の自分に、「いい出逢いがあったんだよ」と言ってあげたい。
そう思うと、今の自分も報われる。

2019年4月26日金曜日

忘れたくないこととして

2019.4.26
絶対的もしくは相対的に判断するのではなく
これをして良かった、これを選んで良かった、ここにいて良かった
と自分の辿った筋道に価値を見出せる。
これはこの上なくしあわせなことではないか?


2019.4.27
4月も終わりというのに雪。寒の戻りどころじゃない寒さ。
世話をしていた金魚が死んでしまった。小さな花といっしょに埋めてあげた。
さようなら。ありがとうね。
君が今いる土は、もしかしたら、水槽の水よりあたたかいのかもしれないよ。


2019.5.3
自己正当化という反論の仕方
絶対的な自分=他を否定する自分

他罰的とはこのこと。




2019.5.12


母の日だから「カーネーション買ってくる?」と聞いたものの、やはり「要らない」と言われた。

スーパーでカーネーション横目に見ながら、果物売り場でイチゴとアメリカンチェリーを買った。

小学生の頃、運動会のお弁当には必ずイチゴとアメリカンチェリーが入ってたよね、とそんな会話をしたかったから。



2019.8.12


意識 運動 反射 衝動 感情 記憶 思考
ひとが恢復するシークエンスを思う。





2019.9.24
言葉をしたため、音を奏で。

そうだな。次は。

色を重ねよう。
絵を描こう。


2019.10.10

秘湯in
湯の花を流さずout
して

ご満悦。
コインロッカーの鍵が錆びてしまって、
ちょっと焦った。

2019年4月18日木曜日

暮らしの仕方

安価なもの、扱い易いもの、
壊れたとき、捨てても惜しくないもの。

そういうものを選ぶのは、もちろん暮らしの仕方のひとつ。

歳を取って余裕が出て、「そうではないもの」を集めるようになった。



考えてみる。

自分が暮らしのなかで重きを置くものって、何か。

外に出かけなくても、楽しめる、居心地のいい環境、空間。

調える、設える生活の道具。



家を「私」の趣味や意識で作ること。

傷やひびが入っても、繕い直したい暮らしをここで作ろうと思う。

2019年4月16日火曜日

春の花ばな


2年前のことを思い出す。

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春の花ばなを探しに、どこまで行こうか。

パソコンのキーボードを叩いて、見つけたいくつかの場所をリストアップしていく。エリアを決めれば、ルートも組みやすい。

比立内の水芭蕉群生地。ブログの写真に載っていた看板はもうなかった。でもこの坂道の表情はなんら変わらない。そう、この坂道。これを下って、つきあたりを右に。
どきどきしながら、車を空き地に停めようとしたら、先客の県外ナンバーの車。
昨晩の雨で少し足もとがぬかるんでいる。ハイカットのマウンテンブーツを車に積んでおいて正解。
靴を履き替えて、群生地の方へ。



ようやく先客とすれ違った。
「こんにちはー」
その後、地元のご婦人とすれ違った。夢中でシャッターを切る私を珍しく思ったのか(不審に思ったのか)、声をかけられた。
「いっぱい撮っでらな。花が好きなんだか?」
はい、今日は休みなので、この辺りの花が綺麗なスポットを巡っているんです。
「この後、どこに行ぐの?」
あわててわたしは頭の中の地図をがさがさする。出てこい、地名!
越山。
「越山か、あそこはじいちゃんがよく山菜を取りに行っでたね。『敷かさってる』場所があるって言うの。『敷かさってる』って分かるが?」
なんとなく、とわたしは応える。
「行くまで気をつけてね。ダンプに轢かれねようにな〜。」

越山の福寿草自生地に辿り着くのは、比立内の水芭蕉群生地に行くよりも簡単だったかもしれない。目印の商店に着くと、「こっちこっち!」と来る人を招き入れるような看板が立っている。矢印に促され、少し丘に登る。気づくと、庭先にも福寿草がある。
黄色い宝石。ダイヤモンドの「ブリリアントカット」みたいに、規則的な花弁の開き方が煌きを増しているように見えた。



どきどきした。
入り込んじゃいけない場所にいるような気がした。写真を撮ったら、早くこの場を去らなきゃいけないような…でも花は見たいし、前に進みたい。
大げさに聞こえるかもしれないけれど、その時の私は本当に興奮していた。間近で見る福寿草が放つ黄色の光はそれだけ神々しく見えたんだから。


呼吸を整えて丘を降りる。
…と、ふもとの人家には、庭先にも福寿草が自生していた。
少し拍子抜けした。

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鮮やかな黄色の余韻にひたりつつ、ぼうっと自宅の庭先に目を遣ったあの日のことをもう少し思い出してみる。
もうひとつの花。

たわわに溢れる馬酔木。

そろそろ今年も、春の花ばなを探しに行こうか。


2019年4月11日木曜日

春の野生

久しぶりに花を買った。



勤め先に飾るものをと考えていたので、春だし桜や桃、梅あたりかなと花屋でうろうろと物色していた。その途中で、気づいた。花の中でも、そういう枝ものは旬の時期こそ花屋に置いていないのかもしれない。
というか、店内見かけない。あるのは温室で育てたであろうバラやカーネーション。むしろここには温室で育てたものしか並んでいないのかな。

温室育ちだとしても、少し前までは枝ぶりの良い啓翁桜が、店の目立つ場所にどぅんっと置かれていたのに。

勤め先の大きな花器に飾るには、枝ものがよかったんだけれど。
そううじうじしていても仕方がないので、店内を再びうろうろし始めた。



悩みながらも直感に頼り、結局その日は3種類の草花を買った。


まず目に留まったのはワックスフラワー。
松のような葉枝と梅のような花。あれ、葉枝はクリスマスのモミの木のようでもある。
和洋折衷なワックスフラワー。つやつやの葉が放つ妙な魅力に惹きつけられてしまった。

花は数年前に櫃取湿原で見た梅花藻を思い出させた。ぴょんぴょん石渡りした、あの川で見た水中花。

「ここを桃源郷と呼ぶ人もいる」
あの時一緒に桃源郷に行った人の声が聞こえたような気がしたし、やわらかく湿った山道の香りが一瞬したような気もする。




この日買ったのはワックスフラワー以外に、ミモザ、ラグラス。ミモザは思いのほか葉が鋭くて細長く、黄色の小花よりも強い印象。どれも野生味があって、温室育ちには見えないところが気に入った。

自宅にもワックスフラワーを。ラグラスと一緒に持ち帰った。


2022年1月17日 水彩の計算

去年の春から月1〜2回ペースで、絵画教室に通っている。最初は鉛筆デッサンで、慣れてきたら水彩に挑戦する日もしばしば。 水彩は高校生の頃に数回しかやったことがなく、この年になって本格的に挑戦している。油彩の方が描いている数は多いので、感覚が掴めなくて、最初の数回は苦しかった。高校の...