2017年6月17日土曜日
「わたし、ここで」のこと
制作に関わった秋田県大館市移住PRムービーが、このほど公開されました。
私は取材、ライティングを担当しました。
最初のスクリーンショットはコンセプト…と言っていいのか分かりませんが。これから出来上がるであろう映像を頭の中で描いたとき(撮影担当ではありませんが)に、したためたものです。
親や友人、近しい人に、手紙を送るような気持ちで書きました。
ささいな発見かもしれないけれど、自分にとっては新鮮さがあって、嬉しくて。誰かに伝えたくなる、というか、書くことで自分の中に残しておきたくなる。
そういう気持ちになる瞬間が、この映像にはいっぱい詰まっています。
気づいたら、最近は初夏のような陽気。田園に囲まれる我が家のBGMは、カエルの大合唱です。カエルって、4月下旬からもう鳴き始めているんですね。ここに住んで3年目にして、ようやく気づいたこと。
2016年5月12日木曜日
北鹿ハリストス正教会 生神女福音会堂
大館市内には岩手にいる時からずっと行きたかった場所がいくつかあります。そのひとつが、大館市曲田にある北鹿ハリストス正教会・曲田福音会堂です。昨年の秋、念願叶って同教会を訪れることができました。今回はそのことについて書きたいと思います。
11月28日、前日までの雨は上がり、空はにぶい灰色。国道103号線沿いの住宅街がひしめく細い道に入ると、数分もしない内に目的地に着きました。庭には柿の木(*1)が立ち、橙色の実が地面に落ち、晩秋の漂いがあります。ようやく訪れることの出来た聖堂、その面積は15坪だそうです。事前に入手したパンフレットを眺めながら、釜谷幹雄長輔祭さまとの約束の時間まで、どきどきしながら扉が開くのを待ちました。
日本最古の木造ビザンチン様式教会として知られる曲田福音会堂。釜谷さんが開けてくれた白い扉をくぐり、啓蒙所から聖所内に入ると、思わず息を呑んでしまいました。
シャンデリアの温かな灯に照らされ、浮かび上がるアーチ。
教会内に施された意匠は、鮮やかな色彩と輝きをもって自分の目に飛び込んで来ます。それぞれの彩色や文様など、細部への執心はやまないのですが、15坪という面積に凝縮された教義や、世界観に充ちる空気−−自分が大きな存在に包まれたような気がしました。
かつて文盲の人びとのために描かれたというイコンを見て、昔見た映画を思い出しました。それはアンドレイ・タルコフスキー監督による「アンドレイ・ルブリョフ」(1971年、ソ連)です。映画は15世紀初頭に実在したイコン画家、アンドレイ・ルブリョフを主人公にしています。映画はモノクローム映像で進行するのですが、劇中に出てくるイコンや聖堂は目に焼き付き、観賞後しばらくはその色彩やかたちについて想像をめぐらせていました。思い切ってそのことを釜谷さんに話したところ「あれは、とてもいい映画ですよね」と応えてくださいました。
終始質問ばかりの私。対応してくださった釜谷さんは、穏やかな笑顔でひとつひとつの質問に丁寧に答えてくださいました。釜谷さんから思わぬ一言が出ました。
「カメラは持っていますか?」
思いがけず、写真撮影の機会をいただきました。この教会がもつあたたかさや荘厳さ、包容力を写真に写し込めたら…と、無心で携帯電話のシャッターボタンを押し続けました。
1月のある日、思いがけず釜谷さんの訃報に触れ、私の心の中で何かが欠けてしまったような気がしました。ほんの一時間。
それから一ヶ月後。ご縁があり、釜谷さんの奥さまとお話出来る機会が出来ました。奥さまと会うのはもちろんこれが初めて。ゼロダテの『もうひとつの秋田』や取材の際の撮影写真をお渡しし、生前の釜谷さんの写真を2人で眺めました。
釜谷さんは学生時代から写真に親しんでいたそうで、のちに写真撮影とビデオ撮影を手がけるワールドプラン社を設立されました。
また、海外へ渡航した際には、現地の教会などで撮影をされたそうで、その数、データ量は膨大なものだそうです。釜谷さんが亡くなった後も奥様方はその意志を引き継ぎ、写真、ビデオを整理しているとの話を聞きました。
ふと、釜谷さんにかけられた言葉がじんわりと蘇ってきます。
「カメラは持っていますか?」
あの時私が無心で撮影した写真を見返すと、未熟さがにじみ出ていて少し恥ずかしさのようなものを覚えます。けれども、後ろで静かに見守って下さっていた釜谷さんの眼差しや佇まいが思い出される、不思議な感覚があるのも事実です。
あの時、自分を包んだ大きな存在は、教会とその世界観、そしてあたたかな眼差しをこちらに向ける釜谷さんだったのかもしれません。
釜谷幹雄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
*1 柿の木
大正15年に曲田部落で大火があった際、木造の聖堂が火の粉や灰などを被りながらも燃えずに残った。そのため、曲田部落ではこの柿の木を「火の神」と呼ぶ人もいる。
************
写真は撮影の許可をいただいて撮ったものです。
また、当記事を掲載するにあたり、釜谷貴美子さま、(株)ワールドプラン社さまのご協力、ご厚情をいただきました。ここに御礼申し上げます。
2016年5月2日月曜日
言葉に花、羊に羽
きみがぼくに語りかけるとき
その言葉からは春の香りがする
たぶんあの古い詩を聴いたから
喜びと同時に憂いも感じる
あの詩
路上に落ちた花びらを拾う
小さい女の子
その佇まいが その仕草が
いつまでも瞼に浮かぶよ
頭の遠くの方で
音を奏でる
曲にはならないかもしれないけれど
羽が宙をゆらめくように
鳴り続けているんだ
ぼくに聴こえる音
きみにも聴こえているのかな?
きみが頷く
そのとき
ぼくらは融け合う
詩(うた)
久しぶりに。
きっかけや理由を説明しようにも、自分でもまだ整理がつかないので、書きながら考えていこうと思います。
このブログは詩だけでなく、今までのように、見たもの、聞いたもの、食べたもの、感じたことも書き続けていくつもりです。
このブログをどなたが読んでくださってるのかはわかりません。
ただ、言葉の並びにみる余白や、その時々によって置換される意味が、読み手の方々の心に到来すれば嬉しいです。
5月1日 月曜日 朝5:01
2015年4月13日月曜日
誰かが見てる エトセトラ飛ぶ
まだ薄暗く、外気はひやりとしている。
遠くから、次第に空が白み始める。
ついつい飲み過ぎて、始発に乗る朝。
終電間際に歩く雑踏で、周囲のノイズが一瞬聞こえなくなるとき。
今はそんなことも減ったけれども、確かな感覚は今も残っている。
でも、あの頃、あの時、私が感じていたものは、数年経った今も言葉にはできない。
熱を帯びた頬に当たる外気は、痛みを伴うような冷ややかなものではなかった。
かと言って、心地よさがあったわけでもない。
じゃあ何を感じていたの?
ただ其処には、置いてけぼりになった「自分」と対峙する瞬間があった。
「自分」は泣いてはいない。ただ立ち尽くし、ぼうっとどこかを見ている。
空っぽな心にはさぁさぁと風が流れているようだった。
あの時、感じていたものは、今はもう取り戻せないかもしれない。
時々、あの時に見えた「自分」を思い出すと、心がじゅんと音を立てる。
思い出す感覚は甘くもないし、辛くもない。
立ち尽くした「自分」は、今、何処にいるんだろうか。
2015年3月7日土曜日
記録しつづけること。
学生時代から様々な記録をつけている。日常のこと、読書、旅、芸術鑑賞。と、去年から登山と朝ランも仲間入り。数値化出来るものはデータとして残し、一定の纏まりが出来たものは文章に。そして写真も添えてみる。
このブログのような様々なSNSも活用しつつ、断続的ながら数年分の記録が溜まりつつある。自分の場合、最初からノートや手帳などの紙媒体には記録していない。まず携帯電話のメモ機能や、ネット上のサーバーに書き留めてから、しばらくして紙媒体に落とし込む。その繰り返し。頭の中のどこかでは、デジタルでの記録はメモ程度、と考えているのかも。それらで収集した断片が、紙上でより詳細に、「生々しく」文章化される。一度自分が放った呟きやぼやきに、じわじわと蘇る私的な感覚や感情が肉付けされ、「記録」と「記憶」が混在する一つのナラティブが形成されていく。
記録をつけることで、自分が最も本質的に大切にしているのは、「再来」する感覚である。ひとつの物事を記録として文章にしたためる時、記録を今ひとたび読み返す時。いくつものタイミングで、再来の風が自分に吹くのを感じる。その風を感じられる居心地のいい場所を作ること、それが今の自分にとっての「記録」の在り方である。
それにしても、自分の文章は感覚的かつポエティックだと感じる。これは誰の影響なのかな。
2014年11月4日火曜日
読書徒然日記 その2
その小説の叙述が、スライドで映される風景よりもスライドを写しかえる「カシャ」という音の描写中心で、ほどよい闇の中で機械的な音を鳴らしながら風景が廻る様子が目に浮かんだ。 記憶違いかと思って、池澤夏樹の『スティル・ライフ』のページをめくったけれども、やはり違う小説のようだ。
塾では画一的で一辺倒な教え方しか出来なかった。中学国語では「情景描写」なるものに重きが置かれていて、「筆者はこの文章で何が伝えたかったのか」を生徒は四択で解答する。なんだか歯痒かった。決まりきった読み方を機械的に選択するのではなく、自分なりの言葉で書いてほしかった。その文章を読んで心に波紋のように広がる風景を。
それにしても、ワークに採用されたテキストは心惹かれるものが多く、タイトルや作者こそ忘れたものの、今もたまに切り取られた一節をふと思い出すことがある。名前を思い出せない小説たちは、私の中で宙ぶらりんのまま、断片だけが微かな光をたたえる。
2014年10月19日日曜日
山に登ること、とは。
夏頃から登山を始めた。といっても月に1回ペース。きっかけは職場の人に誘われたこと。
登り始めて暫くすると、ごくシンプルな気持ちになる。休むことなく歩みを進めること、呼吸をコントロールすること、目の前に見えるものを瞬時に見極めること。なんというか、他ならぬ自分の身体と向き合うことを否応なく意識せざるを得ない状況がそこにあるのだ。
途中や頂上で見える景色や自然の景観を味わって爽快感や解放感を得ることは、確かに登山の醍醐味ではある。しかし自分が数回の登山を経て得られたのは、身体感覚への回帰、とでもいうような原初的な体験である。登山後、その感覚や体験を忘れたくなくて、登山日記も記録し始めた。
なんだか、年々アウトドア志向に…。
2014年10月5日日曜日
根子フェス
あれから2週間。数時間の中で遭遇した幾つものシーンが、閃光のようにフラッシュバックする。トンネルは真っ直ぐな一本道なのに、出口のない道を遊歩するかのようだった。寒さで感覚が鈍ってきたのか研ぎ澄まされたのか。音が速さをもって身体中を駆け巡る。鉛色の音叉になったかのように、音に身体が反応し、震えるような感覚。
600mの旅の終着点。七尾旅人が目の前にいた。耳をつんざくようなノイズ、優しく囁きかける声。アスファルトの灰色と、ライトのオレンジ色の二色の中に、ぽとん、と落とされた絵具のように、音は波紋のように広がった。ひとつの頂あるいは極致が、確かにあの場所にはあった。私たちはそこに連れていってもらったんだと思う。
2014年2月18日火曜日
フラッシュバックメモリーズ 覚え書き
10日ほど前に携帯を紛失。ネットショップを通じて購入はしたものの、まだ手元にない。携帯を見なくなってから以前よりも読書やDVD鑑賞に時間を割くようになった。今日は去年の春に劇場で観た「フラッシュバックメモリーズ」を。
本編中に「会話は過去の記憶で成り立っている」という主旨のGOMAの言葉にはっとさせられる。瞬発的に言葉を発しているけれども、私たちは会話の内容に合わせて過去に得た対話するためのノウハウや記憶を再構築し、それで会話は成り立っている。記憶はシステム化されて日常の生活を無意識のうちに支えている。システムという表現だとやや堅苦しいかもしれないが、この映画が表現するレイヤーのゆるやかな繋がりが日々の営みの背景に存在することを再認識した。
2Dを観たことで、3D上映にもう一度足を運びたくなった。
※こんなイベントもあり。
☞「フラッシュバックメモリーズ4D」http://natalie.mu/music/news/95867
あわよくば4Dも機会があれば鑑賞したいのだが…。
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2022年1月17日 水彩の計算
去年の春から月1〜2回ペースで、絵画教室に通っている。最初は鉛筆デッサンで、慣れてきたら水彩に挑戦する日もしばしば。 水彩は高校生の頃に数回しかやったことがなく、この年になって本格的に挑戦している。油彩の方が描いている数は多いので、感覚が掴めなくて、最初の数回は苦しかった。高校の...








